2008年01月26日
雑感:Mid Atlantic Section 16&Under Championshipを観戦して
絵文字を使わないので、お分かりと思いますが、テニプリ小僧の父です。いつも皆さんに応援して頂き、ありがとうございます。テニプリが11歳(10歳の終わり)でTournamentに本格参戦するようになって、4年になります。久しぶりにMid Atlantic Section (MAS)の試合をゆっくり観戦して、思うところが少しありました。ちょっと書いてみようとNY-DC間の電車に揺られながら思って居ります。
テニプリを取り巻く選手を見ていると、正確さが勝敗を左右する時代は確かにありました。ともかく返してくる相手にどうしても勝てない年齢層が12歳くらいまででしょうか?Ballをひっぱたいて、攻撃し切って勝つことはこの時期には難しいことです。正確さの基準はここでは、ともかくBack Courtのどこかに返せればOKというレベルです。
テニプリが12歳のChampionshipを勝ったのは、13歳にAge Outする4ヶ月前の10月のChampionshipでした。この勝利が、12歳でのNo.1の地位をもたらしました。このときのテニスは、ほんの数ヶ月前まで、14歳を主戦場にすることで、Power優先の非常に荒れたテニスをしていたテニプリに、アングルへの強打を減らして、Deepへ正確な返球を徹底するために、30球打ち終わるまで「リスクを取って攻撃して」はいけないというルールを決めて、練習でも30球、50球、100球とCourt内に返球できないと終わらないという地獄の振り回しを課していた時代でした。この練習と、「30球を思い出せ!」というスピリットが、しばらく、テニプリの支えになっておりました。まあ、本来のテニスがWinnerを取り捲ることにひたすら「カイカン!」を覚えるテニスですので、成功率5%のショットを重ねることは馬鹿だということを身にしみて覚えさせたというのが、本当のところです。30球と決めると、20球目以降は、非常にきついところにFeedしますので、この最後の10球を何とかしなければ、その日の練習に終わりが来ないのですので、必死になります。
このころはただ、返せば何かが起こる。返せば、何とかなる。という姿勢でも十分に戦えた時代でした。14歳になると攻撃力が必要になります。14歳でぬきんでるための攻撃力は、Placement中心でした。相手をしっかり動かして、Open Spaceを作って、Winnerを取っていく。これが出来ていれば、14歳ではTopに入っていけます。Rallyが始まれば、テニプリはこれを出来るセンスをもっていました。ですから、12歳の夏は、14歳以下のLocalの大会をいくつも勝って、12歳で一人だけ、14歳のAll Marylandにも選ばれました。
今回16歳の決勝をゆっくり見る機会があり、16歳のRequirementはここまできているのかと実感しました。優勝は、15歳と4ヶ月の、Coach Vinhの秘蔵っ子、Mitchell君でしたが、決勝も含めて、すべてStraight Setの勝利であり、すべての試合のスコアが、1個1個か、2個団子以下、つまり、2ゲーム以上相手に与えずに勝利するというすさまじい完璧さを見せました。決勝の相手は、これまで、12歳、14歳、16歳を通じて、ずっと1位を通してきた、Justin S君。長身で、すばらしいGround StrokeをもっているPlayerです。12歳の時は、ともかく、何でも返して来て、ChanceにはStep inしてWinnerを取れるStrokeをもっているPlayerでした。14歳では、Powerが付いて、攻撃力が増して、14歳でもNo.1として君臨していました。16歳になった今、15歳のM君に追い抜かれて、Section No.1の地位を失うことは、初めての経験でしょうが、彼が、No.1に地位に戻ることはありえない力の差を見せ付けられた決勝でした。16歳のRequirementは、正確性、攻撃力に加えて、Physicalの強さ、Foot workの速さと強さ、上体・下半身を含めてすべての俊敏さを兼ね備えた守備力がこれに当たると痛感いたしました。Chance Ballを決めるのは当たり前ですが、Chanceを作るには、攻撃を切り返す守備力がものを言います。Justin君が猛攻撃をしかけても、M君は何食わぬ顔で切り返して、相手を押し返し、3球後にはWinnerを取ってしまうのですから、手が付けられません。Back Courtの半面以上を走っても、軸ブレしないしっかりとしたフォームで打てる選手だけが、16歳のTop Groupに入れると言うことは間違いないと思います。
「俺と一緒に試合を見ろ!」と隣に座らせられて、決勝を見ていたテニプリ小僧。自分自身でこの守備力を磨くということの大切さを感じ取っていれば良いのですが、隣で同じ試合を見ながら...。
テニプリを取り巻く選手を見ていると、正確さが勝敗を左右する時代は確かにありました。ともかく返してくる相手にどうしても勝てない年齢層が12歳くらいまででしょうか?Ballをひっぱたいて、攻撃し切って勝つことはこの時期には難しいことです。正確さの基準はここでは、ともかくBack Courtのどこかに返せればOKというレベルです。
テニプリが12歳のChampionshipを勝ったのは、13歳にAge Outする4ヶ月前の10月のChampionshipでした。この勝利が、12歳でのNo.1の地位をもたらしました。このときのテニスは、ほんの数ヶ月前まで、14歳を主戦場にすることで、Power優先の非常に荒れたテニスをしていたテニプリに、アングルへの強打を減らして、Deepへ正確な返球を徹底するために、30球打ち終わるまで「リスクを取って攻撃して」はいけないというルールを決めて、練習でも30球、50球、100球とCourt内に返球できないと終わらないという地獄の振り回しを課していた時代でした。この練習と、「30球を思い出せ!」というスピリットが、しばらく、テニプリの支えになっておりました。まあ、本来のテニスがWinnerを取り捲ることにひたすら「カイカン!」を覚えるテニスですので、成功率5%のショットを重ねることは馬鹿だということを身にしみて覚えさせたというのが、本当のところです。30球と決めると、20球目以降は、非常にきついところにFeedしますので、この最後の10球を何とかしなければ、その日の練習に終わりが来ないのですので、必死になります。
このころはただ、返せば何かが起こる。返せば、何とかなる。という姿勢でも十分に戦えた時代でした。14歳になると攻撃力が必要になります。14歳でぬきんでるための攻撃力は、Placement中心でした。相手をしっかり動かして、Open Spaceを作って、Winnerを取っていく。これが出来ていれば、14歳ではTopに入っていけます。Rallyが始まれば、テニプリはこれを出来るセンスをもっていました。ですから、12歳の夏は、14歳以下のLocalの大会をいくつも勝って、12歳で一人だけ、14歳のAll Marylandにも選ばれました。
今回16歳の決勝をゆっくり見る機会があり、16歳のRequirementはここまできているのかと実感しました。優勝は、15歳と4ヶ月の、Coach Vinhの秘蔵っ子、Mitchell君でしたが、決勝も含めて、すべてStraight Setの勝利であり、すべての試合のスコアが、1個1個か、2個団子以下、つまり、2ゲーム以上相手に与えずに勝利するというすさまじい完璧さを見せました。決勝の相手は、これまで、12歳、14歳、16歳を通じて、ずっと1位を通してきた、Justin S君。長身で、すばらしいGround StrokeをもっているPlayerです。12歳の時は、ともかく、何でも返して来て、ChanceにはStep inしてWinnerを取れるStrokeをもっているPlayerでした。14歳では、Powerが付いて、攻撃力が増して、14歳でもNo.1として君臨していました。16歳になった今、15歳のM君に追い抜かれて、Section No.1の地位を失うことは、初めての経験でしょうが、彼が、No.1に地位に戻ることはありえない力の差を見せ付けられた決勝でした。16歳のRequirementは、正確性、攻撃力に加えて、Physicalの強さ、Foot workの速さと強さ、上体・下半身を含めてすべての俊敏さを兼ね備えた守備力がこれに当たると痛感いたしました。Chance Ballを決めるのは当たり前ですが、Chanceを作るには、攻撃を切り返す守備力がものを言います。Justin君が猛攻撃をしかけても、M君は何食わぬ顔で切り返して、相手を押し返し、3球後にはWinnerを取ってしまうのですから、手が付けられません。Back Courtの半面以上を走っても、軸ブレしないしっかりとしたフォームで打てる選手だけが、16歳のTop Groupに入れると言うことは間違いないと思います。
「俺と一緒に試合を見ろ!」と隣に座らせられて、決勝を見ていたテニプリ小僧。自分自身でこの守備力を磨くということの大切さを感じ取っていれば良いのですが、隣で同じ試合を見ながら...。