2007年11月10日
涙なしでは語れないDouble Fault病克服法-最終回
次に取り組んだのが、Spin Serveです。
Spin Serveの練習になると、狂ったようにSpinを打ち続けます。Advantage Sideで右利きの選手のBackhandへのKick Serveはこの集中的なServeの練習から会得したものです。
実はこの頃私自身本業が非常に忙しく、ある日久しぶりにテニプリ小僧とOne Setをやった時に今まで見たことも無いようなKick ServeをBacksideで連発されて、「おい、テニプリ、どこでそんなKick Serve拾ってきたんだ?」と思わず聞いてしまったのを覚えています。
この時点で一年続いたNote作戦は終了していましたので、テニプリが12歳になった春のことです。この年の終わりに、気が付いたらMid Atlantic SectionのNo.1 Playerになっていたのですが、DFで自滅は確実になくなっていました。
Sliceを次に覚え、Speedもまた上がりました。このころ、あるいは、今でもまだまだControlは不足していますが、サーブは確実にテニプリ小僧の武器として体に残りました。
サーブへの意識改革をするために現状分析をする。口で言わないDataに言わせる。問題点を見つけ出す。テニプリの場合は、SpinをかけるHead Speed、リストワーク、リストの筋力、腕力が不足していました。また、ひざの使い方が不足して、Ballをしっかり打ち上げられなかったことと、頭が下がって、Racquetの振出が上ではなくて、前になってしまっていたことが、多くのNetへのミスを生み出していました。これをテニプリが一番喜ぶ、「カイカン!」と感じるガンガンとエースの取れるサーブをひたすら練習することで会得させ、身についたHead SpeedをSpinに応用することで、Second Serveの安定性を高めました。随分長く書きましたが、実はこれがサマリーで、エッセンスです。
では、何が「涙なしでは語れない」のか?これはサーブがテニプリのテニスの歴史(10年ほど)のなかで、いつでも最大の論点で、私のテニスと彼のテニスで一番相容れない部分だったからです。私のサーブは、165センチという身長のせいもありますが、一度も武器と思ったことがありません。そりゃたまにはエースも取りますが、DFと戦ってきた歴史があります。ですから、First serveを練習か何かとしか思わないように無造作にFaultして、ついでにDFするテニプリ小僧に、何度吐き捨てるように「First Serveが練習だと思っているのか、ばか者!」とか、「サーブが入んなきゃ、始まんないんだよ、テニスは!」とか、「Ball一個しかないと思ってやれ!」とか、私に言わせたことでしょうか?練習でも「今日はOne Serveで試合しよう(この形式は長いこと負けませんでした)」とか、「DFしたら、Double Knee Jump10回!」やら「腕立て20回!」などとPenalty作戦でPressureを掛け続けたことか?ボール缶を10回倒すまでサーブの練習を止めない!練習では、300球の大カゴを打ち終えても、まだ、2回しか倒せていなくて、罰ランになったりもしました。あるいは試合での飴玉作戦「DFを1セット3つ以内にしたら、ごほうび(遊戯王カードやポケモンカード)あげる」作戦では、最初のサービスゲームで3つやってのけ、「1ゲームじゃなかったの?」にはぶち切れました。何度けんかしたことか?テニプリも何度悔し涙にくれたことか?茨の道は使い古された言葉ですが、茨まではいかなくとも、ガタゴト道を進んできたのは事実です。DF病がすっかり影を潜めた今、サーブには本当に苦労したなと、3年前を懐かしく思います。
DF病からすっかり遠のいた今、涙しているのは、テニプリのサーブに翻弄されて弄ばれている、私、テニプリ父の方です。悔しい!!!
Spin Serveの練習になると、狂ったようにSpinを打ち続けます。Advantage Sideで右利きの選手のBackhandへのKick Serveはこの集中的なServeの練習から会得したものです。
実はこの頃私自身本業が非常に忙しく、ある日久しぶりにテニプリ小僧とOne Setをやった時に今まで見たことも無いようなKick ServeをBacksideで連発されて、「おい、テニプリ、どこでそんなKick Serve拾ってきたんだ?」と思わず聞いてしまったのを覚えています。
この時点で一年続いたNote作戦は終了していましたので、テニプリが12歳になった春のことです。この年の終わりに、気が付いたらMid Atlantic SectionのNo.1 Playerになっていたのですが、DFで自滅は確実になくなっていました。
Sliceを次に覚え、Speedもまた上がりました。このころ、あるいは、今でもまだまだControlは不足していますが、サーブは確実にテニプリ小僧の武器として体に残りました。
サーブへの意識改革をするために現状分析をする。口で言わないDataに言わせる。問題点を見つけ出す。テニプリの場合は、SpinをかけるHead Speed、リストワーク、リストの筋力、腕力が不足していました。また、ひざの使い方が不足して、Ballをしっかり打ち上げられなかったことと、頭が下がって、Racquetの振出が上ではなくて、前になってしまっていたことが、多くのNetへのミスを生み出していました。これをテニプリが一番喜ぶ、「カイカン!」と感じるガンガンとエースの取れるサーブをひたすら練習することで会得させ、身についたHead SpeedをSpinに応用することで、Second Serveの安定性を高めました。随分長く書きましたが、実はこれがサマリーで、エッセンスです。
では、何が「涙なしでは語れない」のか?これはサーブがテニプリのテニスの歴史(10年ほど)のなかで、いつでも最大の論点で、私のテニスと彼のテニスで一番相容れない部分だったからです。私のサーブは、165センチという身長のせいもありますが、一度も武器と思ったことがありません。そりゃたまにはエースも取りますが、DFと戦ってきた歴史があります。ですから、First serveを練習か何かとしか思わないように無造作にFaultして、ついでにDFするテニプリ小僧に、何度吐き捨てるように「First Serveが練習だと思っているのか、ばか者!」とか、「サーブが入んなきゃ、始まんないんだよ、テニスは!」とか、「Ball一個しかないと思ってやれ!」とか、私に言わせたことでしょうか?練習でも「今日はOne Serveで試合しよう(この形式は長いこと負けませんでした)」とか、「DFしたら、Double Knee Jump10回!」やら「腕立て20回!」などとPenalty作戦でPressureを掛け続けたことか?ボール缶を10回倒すまでサーブの練習を止めない!練習では、300球の大カゴを打ち終えても、まだ、2回しか倒せていなくて、罰ランになったりもしました。あるいは試合での飴玉作戦「DFを1セット3つ以内にしたら、ごほうび(遊戯王カードやポケモンカード)あげる」作戦では、最初のサービスゲームで3つやってのけ、「1ゲームじゃなかったの?」にはぶち切れました。何度けんかしたことか?テニプリも何度悔し涙にくれたことか?茨の道は使い古された言葉ですが、茨まではいかなくとも、ガタゴト道を進んできたのは事実です。DF病がすっかり影を潜めた今、サーブには本当に苦労したなと、3年前を懐かしく思います。
DF病からすっかり遠のいた今、涙しているのは、テニプリのサーブに翻弄されて弄ばれている、私、テニプリ父の方です。悔しい!!!
ジュニアを 一人のプレーヤーを育ってていくには ・・・ 改めて大変な事なのだと痛感しました。
拓磨が小さな頃 我が家は スペインで頑張っている一藤木君と近所でしたので 彼が旅立つ迄
身近で見てきたものです。 日々厳しいレッスンであったと記憶しております。
でも 【 DF病からすっかり遠のいた 】 だけではなく テニプリ君の逞しく育っていく そういった
全ての事が 一つ一つ うかばれていくのでしょうね。
私も請負かもしれませんが かなり厳しい父親であると言われておりました。
ただ恥ずかしいことですが 親として 経済的支援に限界を感じ 拓磨の成績如何に 頼らざる
おえないのが現状です。 今外部に拓磨の育成を託し 私はいち親として励ますのみの立場に
身をおいています。 もし今後テニプリ君のようにと願うとすれば 私も 常に拓磨の身近な存在
でなけらば責任を果たせないでしょうね~ ・・・ (苦笑)
拓磨が諦めないかぎり 扉の前まで連れてきた私の責任 それは最大限果たしていくでしょう。
テニプリご家族の活躍そして奮闘に励ませられながら (笑顔)
ぜひ 拓磨くんのために そして ヨウちゃんのために 引き続き すばらしいパパさんで がんばってください。 時には厳しく 時には やさしく、 時には遠くから 時にはそばで...できる限りの精一杯の愛情で...我が家も 拓磨くん一家といっしょに がんばりまぁ~す。
P.S テニプリ父 ただ今 日本出張中で コメント遅れるかもです...スミマセン。
テニプリ小僧が 毎日どうしているか ちょっとでも様子がわかっていただけたら そして 楽しんでいただけたら 私たちもうれしいです。
これからも どうぞよろしくお願いいたします!
ほんとに金食い虫ですよね。テニスプレーヤーは。どのCoachもラケットメーカーとか、いろいろなAssociationとかに、コネをつけて、できるだけ有望選手に用具のSponsorをつけようとがんばってくれています。
アメリカの一流私立は4年間で20万ドルかかる!なんていわれていますので、それをテニス奨学金で元を取れたら、シメタモノという計算の下にみんな一生懸命になっているわけです。16歳、18歳の競争は熾烈です。
親の自家用ジェットで試合地入りする苦労知らずのぼんちゃんは別格として、いつもPrivate Coachが選手を連れてくる家庭とか、惜しみなく金をつぎ込める選手に勝っていかないと、そうした奨学金をGetすることは出来ません。
言うまでもないことですが、アメリカは「格差社会」のさきがけ、本場みたいな世界ですので、テニスとお金のことは、また、5回シリーズか何かで、書きたいと思います。